ひどく風の匂い

弘明寺健太のブログ

秘かな愉しみ

 

少し気障な言い方ですが、絵を描くように曲を作りたいと思っている。

自分は絵心というものはあまりないのだが、遥か昔、まだ社会人になって間もない頃、職場で美大出身の先輩に深夜残業しながらちょっとしたデッサンの手ほどきを受けたことがある。ひとまず目の前にあったマグカップを描いた僕の絵を見ながら、その先輩はこう言うのだった。「お前、これをマグカップだと思って描いただろ。デッサンするには、一切の既成概念、固定観念を取り払わなければダメだ。『これはマグカップだ』という意識があるから、実際にはお前からの角度では見えていないはずの、裏側のこの柄の部分などを勝手に描いている。さらに言えば、今お前は線を描いたが、厳密にはそれは線ではない。光が浮かび上がらせた明度や色の境目であって、そこに線が存在しているわけではない。もちろん線を描くこと自体はいいが、線だと思って描いてはいけない。」
なんだかちょっと禅問答のような話ではあるが、なるほど、言われてみると確かに、自分は目の前にある対象を本当に忠実に写し取ろうとしていただろうか。ちょっと線がずれてしまった場合はその矛盾をごまかすためにつじつま合わせの線を適当に加えたり、体裁のためだけに影を描いたりしていたのではないか。
その後先輩に言われたことをできるだけ意識しながら何度がスケッチをしてみたら、それは非常に集中力が必要で、10分もやるだけでかなり疲れる作業であることが分かったのだった。

曲作りも同じことが云えるのではないか。
音は目の前に形としてあるわけではないけれど、自分の中にある漠然をしたイメージを、どれだけイメージ通りに音楽として忠実に具現化できるか。メロディも、コードも、歌詞も、自分が伝えたいことを本当に表現できているか、何度も自問自答する。「なんか違うけどまあいいか」とは、決してしないこと。そう肝に銘じて曲作りに取り組んでいるもんだから、自分は1曲を仕上げるのにやたらと時間がかかってしまう。もちろん豊富な音楽理論ボキャブラリーを持っていれば、それは有用な絵筆となって、近道を見つけやすくなるだろうし、より遊び心も生まれてくるだろう。(それこそが理想)しかしそういったものにそれほど明るくない自分は、とにかく時間をかけて答えに辿り着くまでトライ&エラーを繰り返すという方法をとっている。それこそ1小節のフレーズに何時間も何日もずっと考え続けたり・・・

そんなわけで今日もまたギターを弾きながらああでもない、こうでもないと没頭していた。

要するに、そんな営みが自分にとってはとても愉しいことなのです、というお話でした。

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パブロ・ピカソ画伯の「3人の音楽家」